• 羽中田昌

23年記 ボールは正しく転がった。♯9


9「楽しき長屋の人々 2」



バレンシア通り28番地の長屋に引っ越してきてからのひと月は、よく言う、あっという間だった。目まぐるしく、かつ夢中に時が過ぎ去ったような気がする。その証拠に、このころのトピックスをほとんどまぶたの奥に映像化できない。

バケーションシーズンに入り7月のバルセロナは、もちろん観光地は別だが、シャッターが長く降ろされる店がポツリポツリと増え、住人の多くはバケーションに出かけ、噂では聞いていたが不気味なくらい静かになった。ここの長屋は違ったが、長屋の周りも同じで、なんとか思い出を絞り出そうとするが、ただ、メルカド(市場)の騒めきや道行く人々のくつ音が、静寂に包まれた記憶の中から聞こえてくるだけ。

前のシーズン、クリフ(クライフ)をクビにし、2年連続優勝を逃したバルサのフロント陣は、移籍交渉とかで大忙しだったかもしれないが、まるで世の中の時間の流れが止まったかのように、また、バルセロナに着いたばかりのときのように1秒が1.5秒ぐらいに感じられたような気がする。そう、語学学校もフットボールも休みになった。

じゃあ何故、あのころの私は、バルセロナの時間の流れに反して、目まぐるしくもあり、夢中だったのか。それは、観光客と変わらぬ留学生から、バルセロナの住人になろうと必死だったから・・・。一足先に住人になっていたまゆみの小さな背中をつき歩き、または、一人でも、メルカドやスーパーや酒屋などでの買い物に挑戦した。

車椅子であえて雑踏の中に入り込み、それまで以上にたくさんのくつ音を聞き、日常生活の中でスペイン語での交流を増やした。値切ったり、特売の時間を狙ったり、我が家の切り詰め作戦に少しでも協力しようと努めたのだ。気がつけば、長屋の住人とも積極的に会話を交わし、狭い通路での井戸端会議にも加わっていた。ここでの情報は、大いに役立ち、スペイン語の上達にもつながったにちがいない。



ふっと、ある映像が瞳の中に浮かんだ。

それは10分間ほどの緊張の出来事ーー。いつものようにスペインらしく夜9時ごろに夕食後、まゆみと散歩を楽しむ。その晩に歩いたコースまでは思い出せないが、木曜日だったのは間違いないはず。いまはどうなっているか分からないが、毎週金曜日の朝から、粗大ゴミ回収のトラックが巡回していたと記憶している。

30分、いや40分歩き、長屋の近くまでもどると、歩道の決められた場所に不必要になった家具や大きめの雑貨が放置されてあった。

「ねー、見て見て!」

まゆみはこういったことに長けている。広い視野を持ち、鼻も利く。念願の書斎机が、足の折れた椅子の横にたたずんでいた。

「大きさもいいし、高さも車椅子にいいじゃない」

「んー、まあ、いけるかもな。でも」

「でも」、の後は言わせてもらえなかった。まゆみが、すぐさま、ちょっと古いけどペンキ塗れば使えるよ! 「じゃー」と言って、さらにその才能を発揮した。

「まーくん(私のこと)は、ここで見張っててくれる。絶対、誰かに横取りされないでよ! 私は、パコ呼んでくるから、いい!」

パコは長屋の住人。これが、一人取り残された私の緊張の10分だった。

小柄の腕っ節の強いパコを連れて、まゆみが戻ってきてくれたときは、涙がこぼれそうなくらい嬉しかった。目の前を行き交う人々に、「これは私の物です」とスペイン語でいくど繰り返したことか。トラックが粗大ゴミの前にとまり、行政の回収の前に横取りしようとする、大男2人の登場もあった。テレビドラマのようなタイミングである。

「こ、この机は私が先です」

この懇願が私のスペイン語での初交渉にもなった。かくして、机は、無事、私の小さな書斎に収まった。


さて、後先になってしまったが、あのときの長屋の住人を22年前に時間を戻したまま、紹介させてもらう。年功序列でいこう。そうすると、まずは通路一番奥の左に住むマリアだ。

金髪のお婆さんの年齢は84才、なんとこの長屋に住んで45年になるという。現在は一人住まいだが、ちょくちょく孫を連れた息子夫婦が遊びに来る。奥さんは日本人。もう一人のお婆さんアンへリータに比べるとカタルーニャの女性らしく口数は少なく、低音の声に迫力を感じる。長屋の最長老であり、ご意見番的な存在。ペルーから移住してきたパコを呼んで低い声で、こう言ってくれた。

「この子たちは日本から来たのよ。困ったことがあったら助けてあげて。助けあって生きるのが人生よ」

パコは満面の笑みで「バレー(OK)」と、私たちに返した。最後にもう一つ、カタルーニャの農村出身のマリアが、45年前、必死に子どもの手を引いて大都会バルセロナに出てきたのには、衝撃的なわけがあった。そこには夫の姿はない。

アンへリータ。

アンへリータは愛称、本名はアンヘラ。通路の一番手前の左、サラマンカ出身の金髪で愛らしい顔の70才。ちなみに私たちは真ん中の左。耳が遠く、テレビのボリュームを目一杯あげて聴くので、隣の我が家はかなり迷惑。

サラマンカはポルトガルに近いスペイン西の都市だが、アンへリータはどうも田舎育ちのようだ。耳が遠い分、でかい声でよく喋り、よくお節介を焼く。よく言えば天真爛漫だが、ちょくちょく我が家に入り込んで来ては、かたくなった瓶のふたを、開けて、と突き出したり、家具やテレビの配置まで指示を出す。一度マリアにたしなめられたことがあったが懲りなかった。

「日本は中国のどこにあるのかい」と真顔できかれたときも驚いた。毎週日曜日は必ずおめかしをしてマリアとミサに出かける。一人暮らしで、家族に関しては不明、マリアと違って、あまり家族のことは話さない。

真向かいさん。

通路、右の真ん中、我が家の真向かいになる。ここもお婆さんの一人暮らし。外出するのを見たためしがない。アンへリータ情報だと、人嫌い、らしい。だから、名前もわからずじまい。歳はアンへリータと同じぐらいか少し下だろう。

パコ。

通路一番手前の右に、奥さんと二人で住んでいる。働き者の二人は40才ぐらい。ペルーからの移民で二人してピザ専門のレストランに勤務。奥さんの名前は思い出せない。いつだったかパコと奥さんが食器棚を抱えて持ってきてくれた。「ウチは新しいのを買ったから、これ使って」、満面の笑みで、言ってくれた。こうやって我が家の家具は着々と揃えられた。

パコはいつもニコニコしていて陽気。パコのようにスペイン語であいさつをすると感じいいよ、とまゆみにアドバイスされ、猛特訓をはじめたのが懐かしい。

「オーラ、ケッタール」、やー、こんにちわ、元気かい、というような意味だが、何度も笑顔で繰り返した。挨拶が下手だった私だが、生きる上で、わざとらしいのではなく、感じのいい挨拶はとても大切で、武器になると感じた。

最後に移民のチリ人家族。

一番奥の右手。30半ばぐらいのご夫婦と3才のお茶目で、いつも元気いっぱいのお嬢ちゃんの3人家族。家の中で、大きめの犬も飼っていた。かかあ天下は間違いないだろう。旦那の方は失業中、と耳元でそっとアンへリータが教えてくれた。

寒くなりはじめたばかりの冬だったと思うが、犬が朝早くから、わんわん吠えていた。私たちが知ったのは翌日のことだったが、家賃を払えなかった3人家族が夜逃げした。

どこかで元気でいてほしい。誰なのか分からない男が来て、犬が連れられて行くとき、マリアが、「処分されなきゃいいけど・・・」と、つぶやいた。そういえば、この家族と、ほとんど会話もなく名前も聞かなかった。けどアンへリータが、アンディーナよ、と犬の名前は教えてくれた。


お金がなく、家賃の安い長屋に引っ越してきた私たち。

ここで感じたのは、お金がないことが、逆にいろいろなものを与えてくれたということ。新たな出会いが生まれ、再び前進する意欲や努力が生まれ、工夫やアイディアが生まれた。完璧は壊れることの始まり、ないことは、なにかが生まれる始まりだとも思う。事故をして歩けなくなった私は、歩けないの、「ない」から、たくさんの愛をもらった。「ない」って捨てたもんじゃない。アンへリータが言ってくれた。

「ここは寂しくないよ。通路に出れば仲間がいて話し相手になってくれるからね」

7月31日、私はひとり、バルセロナ発エアーフランス1195便に乗った。1ヶ月の一時帰国、拾った机の上の仕事を探す旅である。まゆみは長屋の仲間たちに任せた。


To be continued

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