• 羽中田昌

23年記 ボールは正しく転がった。♯8


8「楽しき長屋の人々 1」



バレンシア通り28番地の重い鉄格子の正面玄関を開けた。

薄暗く、わかりにくいが右手に階段がある。車椅子の私はそれを見上げるようにして、脇を10メートルほど直進する。次に風通しはいいが鉄格子だけの錆びた扉を車椅子の足置き部分で鈍い音をさせながら押し開ける。見上げると生活の匂いをぷんぷんさせながら無造作に並ぶ窓々、その上に、広くではなく、深く青い空があった。私はふっとひと息気合をいれた。すると直後、カチンと細い音を立てて扉が閉じた。

まゆみは引っ越し用に買ったビニール製の茶色のスーツケースを転がしながら、1.5メートルほどの狭い通路の先にいる。その後ろには「まかせなよ!」と言わんばかりに、颯爽と手を貸してくれた、若いタクシーの運転手が四角いテレビを抱えて続いた。次なる住みかは、パティオ(中庭)に増築されたピソ(アパート)、通路を挟んで3軒ずつの左の真ん中にある。私たちはこのピソのことを親しみこめて長屋と呼んだ。

前にも書いたが、バルセロナの新市街地・エンサンチェ(拡張地域)は、碁盤の目のように通りが整備されている。その碁盤の目の中の一辺80メートル程のブロックのことをマンサーナと呼び、建物が四角い空洞を囲んで林立する。空洞の1階部分は当初の計画ではパティオだったが、いまでは倉庫やピソを拡張するなど建物で埋め尽くされてしまった。こんなところにも商業都市バルセロナの顔を覗かせた。




前の大家さんには、「高くて家賃が払えない」とは、どうしても言えず、「日本に帰ります」と嘘をついてジローナ通り156番地のピソを出てきてしまった。親切にしてもらい、少々融通もきかせてもらっておきながら、後ろめたい気持ちが残った。22年たったいまでもスーツケースとテレビと掛布団、敷布団を強引にタクシーの隙間に突っ込み、約7ヶ月、世話になったピソの前から離れていくときの胸のざわつきを忘れてはいない。

「バレンシア通り28番地までお願いします。ビラマリとリャンサの間です」

「えっ、ビラマリと、どこだって?」

私は少しうわずった声のスペイン語で運転手に行き先を告げると、動くしかなかったんだ、と自分に言いわけをした。それでも2度目は、はっきり「リャンサです、ビラマリとリャンサの間です」と繰り返してから前を向いた。不思議にもこの場面は、ついさっきタクシーに乗ったかのように思い出せる。なぜだろう、記憶の神秘?なのか、と思ったりもする。

山に向かって少しのぼってから、タクシーは左へ方向を変えて進んだ。まゆみはバルセロナに着いた日、飛行場からホテルに向かうときと同じように窓を開けて外を眺めていた。初夏の香りとカーラジオの歌とともに長くなった髪をなびかせながら。

頬にからまる伸びた黒髪、前方から後方へと過ぎゆく日曜日の街並みをみつめる瞳。まるで覚悟を決したかのような、その横顔から力をもらったような気がする。まゆみのあの頃のアルバム写真を自分のイメージの中で動画にかえて、私は何度も何度も横顔を思い浮かべてみる。すると、このままではダメだ、バルセロナに溶け込もう、と心のどこかに刻んだ誓いが、ときを超えて浮かびあがってくる。

それから「なに考えてんの?」とまゆみの横顔に聞いた。「なにも考えてないよ。なんか使える家具落ちてないかなー。食器棚とかテーブルとか椅子とか」、と言いながら右の目尻が下がっていた。実際にバルセロナの道を歩くと、ときどき、捨てられた家具に出くわす。けっこう掘り出し物もあった。たしか毎週木曜日が、家具などの大きめの廃棄物の収集日になっていたはずだ。


バルセロナの通りの名前には、他でもよくみられるように地名が使われていることが多い。海側と山側を結ぶ縦の通りのビラマリとリャンサは、カタルーニャ自治州ジローナ県にある地域の名前だとか? ちなみに、95年から00年までに私たちの住んだピソは、ジローナ通りから始まって、バレンシア通り、マジョルカ通りへと移ろった。

ジローナはさきのジローナ県の県都で、バルセロナから電車でも車でも北へ1時間ほどのところにある。まさに中世の香りが漂う静かな石畳の町という印象が強く、私たちにとって、初めてバルセロナから車で遠出をした場所。ここのジローナFCは、当時は地域リーグのあたりをうろうろしていたが、昨シーズンからリーガ(スペインリーグ)のトップリーグにあがり、レアル マドリードにジャイアントキリングを起こすなど、大活躍を見せている。共同経営者の一人がグアルディオラの弟だというのも興味深い。

バレンシアはスペイン3大祭りの一つの火祭りやトマト祭り、さらにはパエリア発祥の地としても有名の、あのバレンシアだ。そう、オレンジも美味しい。バレンシアCFはリーガで屈指の名門と言っても差し使いない。99年から01年のクーペル監督率いる時代は衝撃的だった。チャピオンズリーグ2年連続準優勝という結果もさることながら、中盤のメンディエタを中心にテンポよくボールを運び、サイドを攻略してクロスを入れる。最後はクラウディオ ロペスが決めるとう流れにフットボールの爽快さを感じた。逆に、バレンシアは守備的で退屈だと豪語していた評論家のフットボール観が腑に落ちなかった。この評論家は、私もそうだったが、攻撃と守備を分けて考えていたのかもしれない。世界もフットボールも分けては、なにも見えてこないのに。

マジョルカは地中海の西に浮かぶ島。笑い話だが、夏のバケーションには半ズボンにサンダル、それに、なぜかソックスを履くという出で立ちのドイツ人が島を占領する、とか。バルセロナからフェリーで8時間ほど。結局、私たちは憧れのリゾート地を訪れることはなかったが、それゆえに、ときどきまゆみに愚痴られている。

「いつか地中海に浮かぶ島に行くって言ってたのに、結局、スタジアムばっかり! マジョルカにだってスタジアムぐらいあったでしょ!」

もちろんある。RCDマジョルカは現在セグンダ(日本のJ2)で戦っている。Jリーガーの大久保嘉人、家長昭博がプレーしたクラブということで日本人には馴染みが深いかも。テニス界に目を移せば、あのナダルを育んだ地ということになる。


長屋の私たちの新居の扉が、すでに全開だった。通路に面した鉄格子に守られた窓ガラスも内側に開いていた。そして、先に行ったまゆみの「オーラ!(こんにちは)」という一声が深く青い空にぬけた。

黒髪、たぶん40代、男性、スペイン南のアンダルシア出身?と感じさせる雰囲気があり、陽気さに粗雑さを軽くふりかけたような大家さんが、鍵を用意して、スペイン人には珍しく約束の時間より早くから待っていてくれた。後で知ったのだが、私たちの長屋を見下ろすことができる同じピソの上の階に住んでいた。「あー、だからここの屋上のテラスで、鉢植えに水をやってたのばれちゃったんだ。納得!」、これはまゆみの弁である。

全開の扉の奥は、入るとすぐにリビング、玄関の扉が同時にリビングの扉にもなっている。そして、そのリビングに、大家さんのご好意で、3人用のソファーと低い小さなテーブルがぽつんと置いてあった。まゆみと私は軽く目を合わしてから、体いっぱいに喜びを表現して礼を言った。

「古い物だけど、よかったらどうぞ。いらなかったら、こっちで捨てるよ」

「ムチシマ グラシア(本当にありがとう)! 使わせてもらいます」

それから、テレビと布団類はコンクリートの地面に置いてもらった。タクシーと長屋を2往復してくれた運転手にはチップを奮発、私は強い握手といっしょに挨拶をかわして手を振った。

陽気な男性二人が長屋を後にすると、さっそく、私たちは動いた。最初にビニール製のスーツケースのチャックを開け、小さく折りたたんで大事にしまっておいた地図を取り出し、それを書斎の壁に貼る。だいたいの位置を決め、斜めに傾かないようにしながら、まゆみが1メートル四方のスペイン全土の地図にガビョウを4ヶ所押し込んだ。

子供のころ、クライフのようなフットボーラーになりたい、と夢見た小学4年生の夏から、私は海の向こうの外国や故郷の山の稜線の向こう側の知らない世界に憧れ、暇さえあれば地図帳や兄の地球儀を眺めていた。ツアーコンダクターになった地図コレクターの従兄弟を真似て、さまざまな国の地図を集めたこともある。書斎の壁に貼ったのは、バルセロナに行くずっと前に買ったものだ。

留学が決まると、その地図を眺めながらいっそうスペインを想像した。バルセロナでの生活のイメージも膨らませた。サグラダ ファミリアを見上げ、カンプ ノウでバルサのフットボールに熱狂し、ブルーサファイアが煌めくような地中海のビーチで日光浴を楽しみ、車椅子が颯爽と石畳を進む。果てはグランドで選手に指示をだす姿も思い描いた・・・

想像できることは、実現可能なことだと信じる。逆に想像しない夢は叶わない。だから地図を好み、知らない場所や知らない未来をできるだけ具体的に想像してきた。3ヶ月間寝たきりだった病院のベッドの上では、天井に空想の地図を浮かべた。

韮崎生活のエッセイを書くにあたり、山梨県の地図を見ていて思ったことがある。

地図は目的地を見つけ、そこに行くためだけに使うのではない。世界の広さを知り、その中で自分の位置をしっかり把握する、つまり自分のいまの位置を確認するためにもあるのかもしれない。

人生という舞台もそう。社会や人との関係の中の自分の立ち位置、自分はいったいどんな人間なのかを恐がらずに確かめて、それから夢や目標に向かって進むのがいい。

1996年6月30日(日)、あのとき、壁に張り付けた地図を見ていた私たちは、知らない場所や知らない未来を想像するのではなく、いま自分たちが世界のどこにいるのかを知っておきたかったのだろう。まゆみが、スペイン、カタルーニャ州、バルセロナ市のバレンシア通り28番地あたりに赤いピンをさした。


昼を過ぎたころから、長屋の通路が賑やかになってきた。なにやら、ぺちゃくちゃと機関銃のようなスペイン語のおしゃべりと甲高い笑いが聞こえる。後で知ることになるのだが、それはミサからもどった老婆二人、マリアとアンへリータだった。

長屋の近くには、サグラダ ファミリアはないが、ミロ公園やスペイン広場やサンツ駅がある。初日、注文したベッドが届かなかったので、地べたに布団を敷いて眠った。かたくて背中が痛かったが、やわらかな夜だった。



To be continued

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