• 羽中田昌

23年記 ボールは正しく転がった。♯3



3 「ピソ探しに奔走」



ピソはスペイン語でアパートのこと。

私たちはバルセロナでの落ち着き場所が見つかるまで、パラレル通りにあるホテルの世話になった。頼りない記憶では、通りと同じパラレルという名のホテルだったはずだが、どうだろうか。

いつものように朝のルナの散歩に出かけ、願成寺駐車場までのゆるやかな坂道を登りながら、まゆみに聞いてみた。

「バルセロナに行って最初に泊まったホテルの名前覚えてる?」

「パラレルにあったホテルだよね」

「そう、そう」

「アがつく・・・、えーと、そうだ、アポロでしょ。ピソがなかなか決まらなくて2週間以上、居たと思うよ」

やはり私の記憶は違っていた。かれこれアポロには20日ほど滞在し、私たちはホテルを拠点にバルセロナの街をピソ探しに奔走したのだった。

まゆみとの朝の会話と読み始めたばかりの本から、バルセロナの街の風景が頭の中を静かに巡った。

3年ほど前から本棚の片隅に眠っていたカタルーニャについた書かれた本を最近になって読み始めた。もっと早く読んでおくべきだったなー、と後悔の念が湧き上がる。田澤耕著「カタルーニャを知る辞典」は引っ越しに伴う整理によって目を覚まし、これから私にカタルーニャの深みをバンバン語りかけてくれるに違いない。早速、バルサについてのページをめくってみると、こんな記述があった。


〝カタルーニャは、産業先進地域で、国内外から多くの移民を受け入れている。当然、彼らの中にもバルサ・ファンは多い。バルサの応援歌には、「我らは青とえんじの仲間/南から北から/どこから来たかなんて問題じゃない」とある。つまり、バルサはカタルーニャのアイデンティティの象徴でありつつも、外から来る「新しいカタルーニャ人」にも開かれているのである。〟


バルサ応援歌の日本語訳を改めて目にしたとき、ちょっと驚いた。ナショナリズムや民族自決を主張するカタルーニャの象徴とも言えるバルサには閉鎖的な印象が強かったからだ。誤った捉え方をしていた。

応援歌のさびの歌詞には「世界中の人が知っている バルサ! バルサ! バルサ!」。1960年代後半にはスペイン国内からの移民が人口全体の4割を占めていたというのも驚きであった。あの鼻歌を鳴らしていた空港係員も「新しいカタルーニャ人」だったのかもしれない。

いったい私は、5年間住んだ憧れの地バルセロナや大好きなバルサのことをいったいどれだけ知っていたのか…。

正直、情けなくなったが、今がそのための時間であることに幸せを感じている。ふと、オランダ人のクリフもアルゼンチン人のメッシもアルバセテからやって来たイニエスタも「新しいカタルーニャ人⁉︎」、皆んな、バルセロナに恋をしてしまったのではないかと思った。


ピソ探しは難航した。車椅子という壁は予想どおりではあったが、ホテルの宿泊費が気がかりで、顔に焦りの色を浮かべながら歩いていたに違いない。いや、バルセロナの路を漕いでいた。

入口の数段の階段、エレベーターの有無や広さで、部屋に辿り着くことすらできずに入居不可になるこも。

さらには玄関のドアが大きく重いため、車椅子の私には開けることができずNGのこともあった。そのピソにはやけに陽気なポルテーロ(門番)のおじさんがいた。気安く私たちに近づいて来ると会話が始まり、有難くもあり、ずっこけそうにもなった。ピソ探しを手伝ってくれたバルセロナ在住のプロカメラマンT氏の通訳によるとこうなる。T氏は主にバルサの写真を撮っていた。

「バルセロナのピソは、こういう大きな扉がけっこうあるんだよ。100年以上のアンティークなピソが多いからね。でも、ここは80年だから新築みたいなもんだがな」

「えー、80年が新築?」

「そだよ(と言って笑っていた)。入居したら私が開けてあげるから心配はいらない」

「本当ですか? ありがとうございます。じゃあ、いつもここに居るんですか?」

「いや、いつもは居ない。午後2時までだ。土曜日と日曜日は休む」

「・・・それは難しいかも?」

「そうだな難しいな。別を探すといい(と言いながら、また笑っていた)。バルセロナは好きか」

「・・・はい」

「モデルニスモの建物がいっぱいあって美しい街だろ。いいピソが見つかることを祈るよ」

最後はお国自慢にもなったが、異国の地に到着したばかりの私たちにとって、印象に残る一コマであった。

それにしても80年の新築には笑ったが、ここは本当に時間の流れ方が違うと思った。たしかに初めて見るバルセロナの街並みはロマネスクやゴシックが香り、思案するガウディやピカソ、ミロが突然そのエスキーナ(角)から姿を現しそうだった。

バルセロナはモデルニスモ様式の建造物が多い。刺激的で、どれだけ車椅子で動き回っても苦にならない。屋根のない美術館、偉人や芸術家が生き続けるドリームタウンのようにも感じた。ここに身を置くだけで、わざわざ立ち止まって周りを眺めるまでもなく、芸術が溶け込んだ空気を吸っているよう。急かさず、ゆっくり流れる時間が心地よかった。


19世紀末、各地で近代主義と称された芸術様式が生まれた。フランスのアールヌーボーやウィーンの分離派など。カタルーニャで確立されたのがモデルニスモということになる。

産業革命によって財を成したブルジョワたちが発展させ、建築、絵画、彫刻、工芸などで極めて特徴的な作品が誕生した。その曲線美や動植物をモチーフにした芸術は独特で奇抜にも感じられる。

私の書斎の本棚にあるトカゲの陶土品はグエル公園の土産売り場の物だが、美と不気味さが折り合いをつけて何かを語っている。遊び心とでもいうのか、「もっと遊べ」とトカゲが目配せしている。

モデルニスモが偉大な芸術家たちを育てたことも見逃してはいけない。とりわけ建築のガウディ、絵画のピカソは傑作中の傑作と言えよう。バルサとモデルニスモの関連を探っても面白そうだ。「フットボールは芸術だ」、これはブラジルの名将テレサンターナの言葉である。私がピッチで学んだ言葉はさしずめ「フットボールは遊び心だ」、だろうか。


結局、何度も壁にぶつかりながら、待望のピソはジローナ通りに見つかった。

ドゥエニョ(家主)は日本企業に勤めるカタルーニャ人夫婦。「日本人なら安心だわ」と言って快く私たちを受け入れてくれた。この時、生まれて初めて世界の中の日本の立ち位置を体感したような気がする。溢れんばかりのバイタリティで世界中を飛び回った日本の先達たちに感謝したくなった。

私は、彼らの信用に傷をつけられないな、と思いつつ待望のピソに一息ついた。

とは言うものの3部屋、キッチン、バス・トイレ、家具付き、食器付きの家賃は、かなり予算オーバー。ガウディのサグラダ・ファミリアに近いとはいえ、留学生の身としてはちょっと無謀な選択だったかもしれない。



To be continued

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