• 羽中田昌

23年記 ボールは正しく転がった。♯1


1 「36年たって考えた。」



この拙い散文詩は21年前にバルセロナのピソ(アパート)で綴った。

監督修行のための留学2年目、真夜中のことだ。自らが選手として経験した日本サッカーとバルセロナで目の当たりにしたフットボールの違いを叫びたかった。ちょっぴり赤ワインの酔いもあったかもしれない。でも、あの頃、日本サッカーとフットボールがやけに違ってみえて仕方なかった。


これからなんだ


十五ねんたってかんがえた

こうこうサッカーにヒーローは

いないんだって


うえをみてごらん

せかいをみてごらん

それから さきをみてごらん

これからなんだから


十五ねんたってかんがえた

せんしゅはみんな ちがうとけいを

もっているんだって


ヒーローになっている ひまはない

じぶんよりうまいひとのなかに いってごらん

へたくそだって しんぱいはいらない

じっくりできるところで くりかえしてごらん

じぶんにあったばしょが あるはずだから


十五ねんたってかんがえた

十一にんのなかの ひとりじゃなくて

ひとりがあつまって 十一にんになるんだって


じぶんを だしてごらん

あいても だしてくれるから

わからないときは きいてごらん

かんとくは きっと こたえてくれるから

つよいくさりで むすばれているはずだから


十五ねんたってかんがえた

にほんじんは れんしゅうを

しすぎだって


めりはりを つけてごらん

リズミカルに やってごらん

それから くふうしてごらん

せんしゅのたいせつな じかんなんだから


十五ねんたってかんがえた

ばいの 三十ねんたったら

どんなことを おもうんだろう


(1997年11月)


倍の30年はとっくに過ぎてしまった。

私のチームの選手たちはいつも主役でいられただろうか。プレーする喜びを味わっただろうか。特性を引き出してあげられただろうか。監督として選手たちがプレーする環境を整えることができただろうか。トレーニングを大事にしてきただろうか。工夫できただろうか。

私はフットボールの監督になれたのだろうか。

今年(2018年)のロシアW杯ベスト16の戦い、日本はベルギーに健闘及ばず破れた。ベスト8の壁は厚い。自らのCKから、鮮やかなカウンターをくらって失点。劇的な逆転負けだった。

もしもボールの転がる方向が、ほんの少しでもずれていたら。精度を要求される高速カウンターは成立しなかった。

格上を追いつめながらも、何が足りなかったのか。もしかすると、それが日本サッカーとフットボールの違いなのかも。そこには計り知れないほど大事なものがある。


9月2日、私はブリオベッカ浦安の監督としての最後の試合を戦った。奇しくもアディショナルタイム、CKからのカウンターで破れた。2対3というスコアーまで日本代表と同じだった。

カウンターからのシュート、一度はGKが防ぐ。ゴールされたのは、そのこぼれ球。ボールは僅かの差で相手の右足に転がっていた。あと10センチ、右か左にずれていたらーー。

試合終了の無情の笛は、選手たちの膝をピッチに崩れさせた。天を仰いで涙をこらえる者もいた。

成績不振による解任決定の知らせを受けたのは、2日後の9月4日昼ごろだと記憶している。それは2018関東サッカーリーグの3試合を残してのことであった。

終わった。長い戦いが終わった。直感から、ここで一度、区切りをつけなけばいけない、と思った。カラダの奥底からそういう声が聞こえたような気もする。


54歳になった私は、あの真夜中の散文詩の約束から6年遅れて、36年たって考えた。

「ボールは正しく転がった。」

23年記は、懐かしむためや後悔や反省のためではない。私の本当の学びの場。今後の道しるべにもしたい。これは、バルセロナへの旅たちから23年間の全力疾走の物語である。


To be continued.


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