• 羽中田昌

23年記 ボールは正しく転がった。♯10


10「楽しき長屋の人々 3」




バレンシア通りの長屋から、エスパーニャ広場までまゆみと歩いた。途中、ミロのオブジェ「鳥と女」を左手に10分ほど。そこにはバルセロナのプラット空港行きのシャトルバスの停留所がある。空港へと向かうバスに乗る私。心細そうに見送るまゆみ。

針・灸・按摩・マッサージの資格を持つまゆみは、私を見送ると直ぐ仕事が待っていた。バルセロナに来て半年が過ぎた頃から、邦人企業の駐在員を中心に、ときどき施術を行うようになったのである。ありがたかった。

こうして、仕事探し、一時帰国の旅が始まった。

留学費用が大変なのは想像していたが、思ったより早く貯金通帳の残高が底をついた。

計画の立て方が甘かったのか・・・

現実は計画と違う顔をして待っているのが世の常。予定どおりにいかないギャップが人生の味わいなのかもしれない。時にそのギャップが、ステキな出会いを演出してくれたり可能性を示してくれたりもする。


バルセロナ発エアーフランス1195便の離陸直前、ゴーっというエンジン音に合わせて、「よっし、がんばるぞー」と小さくつぶやいていた。

8月1日の夜、成田に到着。その日は東京の姉宅に世話になり、翌日、全国高校総合体育大会で賑わう山梨へ戻った。9ヶ月ぶりである。

昼ごろ、甲府駅を降りて、実家までの道すがら、高校総体の幟やジャージ姿の学生を多く見かけ、やけに心が弾んだのを覚えている。駅から徒歩12分ほどの実家に戻ると、レストランを営む兄から、これから地元の帝京第三の試合があるぞ、という情報を仕入れ、ろくすっぽ挨拶もせずに会場の韮崎へとすっ飛んでいった。母は「あのぼこ(子)は、どれだけサッカーが好きずらかね」、とぼやいていたそうだ。


大会中、結構な数の試合を見たが、攻撃陣の個のレベルの高さに驚きつつ、逆に間延びした守備レベルの低さが残念だった。献身的な、好みのディフェンダーもたくさんいたが、守備組織の概念がやけに古く感じられた。暑さと連戦を考えて、間延びを出来るだけ避ける守備のプレイモデルが必要だな、と漠然と感じた記憶がある。フットボールの勝負というよりも精神力の勝負のようにも見えた。小野伸二、中村俊輔、中田浩二などのビックネームに加え、地元韮崎高の深井正樹が1年生で奮闘していた。

心弾ませつつも高校サッカーを観戦しながら「何か違う」と感じる自分もいた。灼熱の太陽の下で、別格とも言える才能を見つけたとき、それは私の心が最も弾むとき。しかし…なんか違う、と体が反応したのである。


そのグランドで、運命の出会いとも言える人物から声をかけられた。

「羽中田さんですか」

「はい、そうですけど・・・」

「あー、やっぱりそうだ。日刊スポーツの山梨版を担当している佐藤と申します」

佐藤隆志くんは、さっそく名刺を差し出してくれたが、私には返すものがなかった。

「すいません。名刺なくて」

「いえいえ、よく知っていますから。バルセロナから戻ってきたんですか?」

「はい、1ヶ月ほど一時帰国です」

佐藤くんの表情が変わったような気がする。それから、続けざまに観戦の感想を聞いてきたので、私は違和感のことを話した。

「スペインでは、この年代にスター選手はいません。いてはいけないんです。なぜかと言うと、チーム内でスタート的な存在になると、すぐに上の年代やもっと高いレベルのチームに引き上げられるんです。トップチームまで上り詰めることができて、そこで活躍して初めてスターと呼ばれる。天狗になっている暇はないし、選手は、自分にあったレベルの中でプレイするのが一番成長できます。高くても低くてもいけない。常に自分にあった場所で、楽しみながら努力する仕組みになっているんですよ」

「そうなんですか」

「レアル マドリードのラウールって選手を知ってますか。彼は2年前、17才でトップチームデビューしています。まだ高校生だったけど、マドリードのトップチームで育てられたんですよ。これは稀だけどね。小野や中村はここにいちゃあダメかもしれませんよ」

かくして、光った佐藤くん目が、今度は丸くなった。

「ぶしつけなお願いですが、羽中田さんがバルセロナで感じていることを、なんでもかまいませんので日刊に書いてくれませんか」


これが、バルセロナの空の下、という月2回の連載が決まった瞬間。思っていたよりも早く、一時帰国の目的が達成されたのである。

バルセロナに戻ってからの日刊スポーツの連載は、私たちの生活を助け、留学をつなげてくれた。やがて、2冊目のエッセイ集「グラシアス」の出版にもつながった。

佐藤くんは、98年フランスワールドカップの最中にパリの教会で結婚式を挙げている。新郎新婦が誓いの言葉を述べた後、証人の欄にサインしたのは、二人だけの参列者でバルセロナから車で駆けつけた私たちだった。


グラシアスは、スペイン語の「ありがとう」。ステキな出会いに感謝したい。


To be continued

0回の閲覧

©2018 by ハチュマサ通信.