• 羽中田昌

エッセイ 韮崎生活 ♯15

15「長いもの紀行・パスタ編」





長いものに巻かれるのは、ちょっと・・・だが、例えばパスタやラーメン、うどんなどには、ご多聞にもれず、子どものころから目が無かった。

小学3年で、生まれて初めて調理した長いものはインスタントラーメン。チャルメラに長ネギをはちゃめちゃに刻んで入れて、汁はぜんぶ飲み干し、最後に残った細かい麺と粒のようなネギまで食べきった。うまかった。ここだけの話だが、どんぶりの底を人さし指の先っぽを使ってなめると、胡椒の味がして顔をしかめた。

ということで、しばらくエッセイ韮崎生活の中で、「長いもの紀行シリーズ」を綴らせてもらいたい。まずは大好きなパスタの話からはじめよう。


須賀敦子さんのエッセイを読んでいたときのこと。胸が高鳴り、グラードという町で食べたパスタが目に浮かんだ。正確に言えば、パスタを満喫している風景が映画のワンシーンのように現れたのだ。

「1929年兵庫県生まれ。聖心女子大学卒業後、パリ、ローマに留学。61年、ミラノで結婚、日本文学の紹介・翻訳に携わる。夫の死後、71年帰国。上智大学比較文化学部教授。初めての作品集『ミラノ 霧の風景』で、91年講談社エッセイ賞、女流文学賞を受賞。1998年3月没」(著書の作家紹介より一部を抜粋した)

1958年(昭和33年)、船で単身ヨーロッパに渡った今は亡き須賀さんの絶妙な文章に励まされる。繊細な描写が、ときには優しく、ときには厳しく、そして、さりげなく、私の記憶の扉をノックする。


トントン、トントン。

2000年9月から10月にかけて、相棒のまゆみとともに、中古のおんぼろ車に乗ってヨーロッパを周った。それは、バルセロナ留学の最後を締めくくる50日間の珍道中。この旅については、いずれ23年記でも違う視点から綴っていくが、この旅でイタリアのパスタの美味しさをあらためて実感した。

たまたま、そういう店に入ったのかもしれないが、ロンドンの繁華街で食べたパスタも、ベルギー・ブルージュの運河のほとりのパスタも、ミュンヘンに入るアウトバーンのドライブのパスタも茹で加減が私の口には合わなかった。ウィーンはイタリアに近いせいか、悪くはなかったが、あの繊細な域には達していない。

北から南下するにつれて、空の青さの深まりに魅せられたように、北の国の味に失望してきて、本場のパスタと再会したときの喜びは大きかった。


三日間滞在したウィーンを後にして、途中、イタリアとの国境手前のドライブインで、次に行く町をきめる作戦会議を開いた。地図を広げて、即座にまゆみが指差したのがグラードという町。

「ねー、ここにしてみない。アドリア海に浮かぶ小さな島。道も続いているし、いいんじゃないかな」

異論はなかった。グラードに行ってアドリア海を眺めながら、本場のパスタを食べる計画もまとまった。

パルマノバという出口で高速を降りると、あとは一本道。30分ほどで、海上の道が、私たちを小島へと誘う。ここが目指した場所である。

この日の夜、島の小さなトラットリアの小さな教会前の広場に並んだテーブルで味わったパスタ。それは「人生最高」と自信を持って言えそうだ。まゆみがスカンピ(手長海老)のパスタで私がトマトソースのボンゴレを注文し、分け合った。


街灯とキャンドルライトの中の、ささやかだけど、この幸福の晩餐を思い出させてくれたのが、「ミラノ 霧の風景」にあったワンセンテンスだった。

「十一月の冷えた水蒸気の中に墨絵のように浮かんだ砂州の突端にあるグラードという島を訪れた日」。


私たちが行ったグラードを、須賀さんも遠い昔に訪れていた。例えば小さな教会やアドリア海の夕陽を眺めて、もしかすると同じ小さなトラットリアでパスタを注文したかもしれない。

イタリアやフランスを舞台にして、生き生きと描かれる須賀敦子の世界に触れていると、長いものに巻かれるのに抵抗し、意気がって生きてきた私の背中を、須賀さんは、それでいいのよ、私もよ、と励ましてくれる。



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