• 羽中田昌

エッセイ 韮崎生活 ♯14


14「空の詩(うた)」



1月最後の月曜日の空はこうだった。

渋谷の岸記念体育会館で雑誌の鼎談があり、まゆみと上京。朝6時に日の出前の暗闇を後にし、中央道に乗って八王子あたりまで進む。すると雲を焦がす朝焼けの空が迎えてくれた。

まゆみが、あー、このオレンジ久しぶりー! と歓声をあげる。それから「雲とかがあるから、あざやかに染まるってこと? なんで、こんなに綺麗なの」と私に向けてきた。

高い山に囲まれているのと、空気が澄んでいるからなのか、韮崎では、なかなか濃いオレンジの、そこまでの夕焼けや朝焼けには、お目にかかれない。雲が少しある方が、赤に近い濃いオレンジになると聞いたことはあった。

奈良に住んでいたとき、遠く大阪の夕焼けを眺めたことがある。うわー、という私の歓声に反応した同乗者が、教えてくれたことを思い出した。

「空気が汚れている方が光の屈折の仕組みで、オレンジが綺麗なんですよ。大阪は大都会で大気汚染があるから、ほら街の上が煙っているでしょ」

白く薄い幕のような層が大阪をぼんやり覆っていた。それでもその3分の1ほどを照らす、光の波長の長いオレンジ色は、たまらなく素敵だった。フランス方面から下った、高速道路から眺めたバルセロナにも似ていた。

このときの私は、夕焼けしか見ていなかったのだ。汚れた空気で煙った大阪やバルセロナの街とそこに住む人々のことを考えなかった。なんでもそうだが、表面だけ見ているのでは本当のことに気づけない。陰の中に陽があり、陽の中に陰があるように、見えている表面の内側には、必ず、もっと大切な奥があると思う。


鼎談の仕事が午前中で終わり、時間があったので、代々木にあるなじみのヘアーサロンを訪ねた。鼎談の前に寄ればよかったのに、と思いながら、ぼさぼさの髪をきれいにしてもらい、そのあと、今度はなじみの新宿の店で一杯ひっかけた。そして翌日になり、韮崎にもどる道すがら、もうずっと前のことになるが、ヘアーサロンのマスターが言っていたことを思い出して、野田洋次郎の曲を聴いた。

「君の名は。は劇場で4回観ちゃいました。いやー曲がよくて。まるでミュージックビデオみたいな美しい映画でした」

この挿入曲を手がけたのが野田洋次郎。詩というものの奥にある、果てしなく広がる世界を私は好む。言葉の奥の、言葉と言葉の間の、行間の、それから、例えば2行目に刺激されて8行目が輝く、いわゆる伏線の世界を想像して味わう。これは人生やフットボールの味わい方にも似ている。



2月の始まりは、こんな空の朝だった。

カーテンを開けると、うっすらと雪化粧した庭が寝ぼけまなこに飛び込んできた。陽光の反射がまぶしく、その目をさらに細める。八ヶ岳おろしが吹きこみ、電線や木々が揺れていた。寒そうだけど、なんだか、その光景が嬉しくて、私の心もイニエスタのような軽いステップを踏んだ。

昼過ぎ、所用で甲府へ向かう車中でも、心が踊った。

白く光る庭にスタットレスタイヤの跡を残し、武田橋を渡り、国道20号を右に折れると、真正面にでっかく輝く霊峰富士を拝む。それから、ホワイトパウダーを軽くまぶしたような薄雪のやまなみと、風がすべてを吹き飛ばした、塵(ちり)ひとつない透きとおる水色の空が私たちを包む。昨晩、雪を降らせた雲たちは、いまごろ世界のどこを旅しているのだろう。車のスピーカーから流れる野田洋次郎の歌声に合わせて、私の心が、再び軽いステップを踏んだ。


今朝の薄っすら湿っぽかった水色の空に果てしない広がりを感じた。それは、なぜか子供のころに見上げた空と同じだと思えた。でも、そんな空の誘惑が、いまの私には怖いのだ。

見上げれば、空は語りかけてくれる。けっこう寒いのに、「もうすぐ春だよー」って聞こえたのは私だけなのだろうか。



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