• 羽中田昌

エッセイ 韮崎生活 ♯13

13「2019 韮崎生活のはじまり!」



初詣in武田八幡


年が明け2回目の土曜日、ようやく年末年始の気ぜわしさも落ち着き、静かな韮崎生活のルーティンが戻ってきた。しかし、目を覚ましたばかりの私の胸は、なぜかベッドの上でざわついている。心当たりもなく、いったいどこから忍び寄るのか・・・、不安ってやつかなと思った。

感情は勝手に揺れる振り子のよう、それとも暴れ馬、コントロールできないものなの?


窓越しに見上げる朝空はオブラートのような薄い雲に覆われていた。夜、雪になるらしい。そういえば昼にラッパを鳴らしながらカブに乗って寄ってくれた豆腐屋の若旦那も空模様が気がかりのご様子であった。雪路の配達は大変。豆腐づくりに天候や季節は密接な関係があり、作り方を微調整すると聞いたこともある。

「こいう生ぬるいような風が吹く不気味なときは、夜降ることが多いだよね。天気予報じゃ低気圧が弱いからこっちまでとどかないかもって言ってたけど、降らんといいね。五分五分だなこりゃー」

愛犬ルナは、寝床から降りると、最近はお気に入りの石油ストーブのすぐ前を陣取る。ほんの20センチで、火傷しないかと心配になるが、伸びをしながらあくびまでするのだから大丈夫。まゆみと私は7時15分から、土曜日のいつものラジオを流しながら、その日の支度をした。

パーソナリティのピーター バラカンさんの曲紹介の後にさまざまなジャンルの楽曲が聴こえてくる。ルナも聞き惚れているかのようだ。

バラカンさんの選曲は実にいい。カタカナと横文字の発音になると当たり前だがパーフェクトでかっこよく、他の美しい日本語と少々テンポの異なる低音の静かな語りが私たちを癒してくれる。トイレにいても、このラジオからの響きは、はっきりと染みるように伝わってきた。

耳をすまして、しばらくすると、「そうじゃん!」と2018年最後の晩、密かに誓ったことを思い出させてくれた。


大晦日の午前、高校サッカー大好き、還暦の兄と54才の私は車中にいた。韮崎から中央道に乗って、解説をする試合会場のある千葉県柏に向かう途中だった。

道中、陽光に包まれながら、ハンドルを握る兄と久し振りにいろいろな話をしながら東に進んだ。その中には亡き父がつくった羽中田家具店倒産の話やその後の兄の苦労話もあった。中学生だった兄はラッピー配りのバイトをしたり、駅弁売りをして中学から大学まですべて自力で卒業。眠い目を擦りながら、小学校低学年だった私の朝食を忙しい母のかわりに作ってくれた記憶もよみがえった。現在は、ハンバーグとワインのお店のマスターである。

「お兄ちゃんも、あの時はこれからどうなっちもうか不安で、本当はすごい怖かっただよ。でも、なんとかなるもんだな。こうやって、この歳になっても大晦日に弟とサッカー見に行けるだから」

あのころ、私の幼心も不安でいっぱいだった。父と母が土下座をして頭を下げている姿。母は泣いていた。兄と同じように、人生なんとかなるもんだ、と感じる。私には汗と土のグランドの青春があった。


事故をして病室の天井を見つめていたときは、もっと不安だった。

ドリルで頭蓋骨の前後と腰に穴を開けて土台をつくり、身体を固定するために50センチのステンレスの棒がその土台をしっかりつないだ。身体中の毛はすべて剃られ、手と目と口は動かせるが、電池の切れたロボットのようにただ病室のベッドの上に横たわっていた。

自分ではどうすることもできなかった。これから、俺はどうなるのか、考えるとただ涙がにじみ、シーツが濡れた。

でも、今は車椅子に乗ってはいるが、こんなに幸せである。下を向かず生きていればなんとかなるのだ。そういえば、不安で不安でたまらない試合の方が、勝つ確率は高かった。不安はいいことや成功の始まり。


千葉での解説の仕事を終え、韮崎に戻り、その晩は久しぶりの故郷での大晦日。年越し酒で上気した兄とまゆみ、そして、幸せそうな母とルナの顔を眺めながら、私は「不安に期待しよう」と決めた。ピーター バラカンさんのラジオ番組の穏やかな響きが、その小さな誓いを思い出させてくれたのである。

初雪は落ちなかった夜空を見上げ、2019年の韮崎生活がワクワクドキドキでありますように、と願った。不安のない人生は、どこか味気ない。胸のざわつきは感動のはじまりの合図かな。


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