• 羽中田昌

エッセイ 韮崎生活 ♯11

11「メリークリスマス2018」





夜空を見上げながら、空って贅沢だな、と思った。

力をくれる太陽があって、静寂をくれる月がある。

ふわふわ気持ちよさそうな雲もあって、夜には輝く星が慰めてくれる。

それから大雨は困るが、恵の雨も降らせる。

純白の雪もみぞれやあられも落ちてくる。星だって流れ落ちる。

壮大な空は、いつも私たちを包んでくれる。いまなら両手を広げて、「メリークリスマス」と叫びたくなる季節。いや、それは言いすぎだ。両手を広げて叫びはしない。つぶやく程度だろう。

若い頃、空は「空っぽ」という読み方もするのに、なんでもあるじゃん、と不思議に思ったことがある。すると、その不思議に答えてくれた人がいた。それは私の大好きな人、舞台演劇に精通する韮崎高校の大先輩だった。

「空っぽは、逆になんでもあるんですよ」と前置きがあり、舞台にはセットがあって、様々な場面で、舞台を暗くしてセットを変えていく。でも、それには限界がある。だから、あえてセットを何も置かないで空っぽの舞台を作る。そうやって、舞台セットを客に想像してもらうこともある。「そうすると、どんな背景や場所も浮かび上がってくるから、想像があればなんだってできて、なんだって作れるんですよ」、と結んだ。

私は空っぽの自分の頭の中も、まんざら捨てたものでもないのかな、と思ったりした。


先週の木曜日(12/13)夜9時ぐらいから20分間だけ、まゆみとふたご座流星群を眺めに外に出た。

完全防備で寒さ対策は万全。ダウンジャケットを羽織り、手袋をはめ、ニット帽も被る。まゆみが「手袋二枚重ねした?」と聞いてきてきたが、それは聞き流した。願成寺手前の坂まで歩いて行き、外灯の薄明かりと火の鳥のような形の平べったい雲が少し気になったが、そこで流星を待った。風はあまりなかった。

「どっちの空を見たらいいの?」とたずねると、「満遍なく空全体を見るのがいいみたい」と白い息を上げながらまゆみが返してくれた。

それでも、最初はなかなか流れ星を見ることができない。朝のラジオでは、明日がピークと言っていた。翌日は仕事で東京、今日しかない。それが悪かったのかなー、と後ろ髪を引かれながら、キョロキョロと目と首と車椅子を動かしていると、5分ほどしてまゆみの第一声が上がった。

「あっ、見えた!」

「どこ、どこ」

「あっちの空に、3センチぐらい流れた」

先を越されて、ちょっぴり悔しかった。それから2分ほどの流星も、またまゆみのものだった。それで私はキョロキョロをやめた。東の斜め上の比較的星が固まって見える方を狙い撃ちすることに。するとその予感が的中して、3分ほどで今度は私の番が回ってきたのだ。

「あっ、見えたよ!」

「どっち」

「あっちだよ、3センチぐらい」

スッと光が真下に落ち、あっという間に儚く消えた。やはり、願い事など言っている暇はない。その流れ星はどんな運命を辿ってここまで来たのか。3センチの中に遥かな時間と儚さを感じた。

その後、竹原ピストルの「3センチの歌」を口ずさみながら夜空を見上げるまゆみがいた。「3センチ 雲が動いて 3センチ お日様が顔を出した♬」。結局、流星レースは3対2でまゆみに軍配が上がった。


3センチも、場所によって、人によって感じ方が違うと思う。

グランドの3センチにはギリギリの戦いの厳しさを感じる。机の上の3センチは几帳面な性格。道路の上の3センチには、尖った釘と運命の分かれ道。そして、空の3センチには大いなる想像の可能性を感じた。

先週の金曜日か土曜日、我が家のいつも空を眺めている窓ガラスが割れた。正直、やっぱりショックだった。なんとなく落ち込んだりもした。そんな私たちに、こんな言葉をつぶやいてくれた人がいる。

「ふたご座流星群のかけらが飛んできたんだよ」

まゆみと私は、その人に「惚れてもうた」と言って微笑んだ。


「ハレルヤ」、大好きなこの曲を聴きながら、みんなにメリークリスマスを言いたい。いずれにしても、そんな柄ではないが、久しぶりにクリスマスでも静かに楽しんでみようか。バルセロナ以来かもしれない。



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