• 羽中田昌

エッセイ 韮崎生活 ♯10


「コーヒータイム」




まず電動のコーヒーミルで豆を挽く。

固定式、鉄の手挽きに憧れるが、青二才の私にはまだ早い。ガリガリと豆が砕ける心地よい音を鳴らすには、人生の深みが必要だ。チカラでもテクニックでもない。

次は挽いた豆をネルフィルターに入れてからお湯を注ぐ。最初はさっとひとかけ。乾燥した豆に潤いを与えてから待つコト30秒。にょきっと伸びるポットの細い口を小さな円を描きながらゆっくり回す。この動きがたまらなく好きだ。急いではいけない。お湯の温度は90度ぐらい。何事も一歩手前ぐらいが、肩の力も抜けて才能が発揮できる。

糸のようにコーヒーが落ちるのを眺め、静かな湯気とともに、そこはかとなくただよい始める香りを楽しむ。もちろん、予めマグカップは温めておく。丁寧に丁寧に。淹れ方はまゆみからの伝授、朝イチのバターコヒーとは別に、仕事のない日は1日2回ほど私の担当となる。しみじみ、ただただ、大事な時間である。

少し濃いめのコーヒーのお供には沖縄の黒糖が気に入っている。いろいろ試したが、小浜島産のほんのりビターな複雑な味にようやく行き着いた。

豆は、コクテール堂の韮崎工場で買う。

車で15分。だいたい2週間に一度、深煎りのオールド5を200グラム。先週はセールだったので、封を開けてからの酸化も気になったが二袋400グラムにした。ここも韮崎お気に入りの場所である。

我が家から、車で韮崎西中を左手に見ながら細道を釜無川に向かって300メートルほど行く。突き当たれば右折して、すぐの武田橋を左に渡る。天気のいい日なら川の流れとともに左に八ヶ岳、右に富士を拝める。かつて、まゆみはこの橋を渡って韮崎高校に通った。亡き義母も通勤で歩いた。そして45年前、この橋のたもとの国道20号の交差点で軽トラにはねられ義父はこの世を去った。

韮崎高校サッカー部時代のキャプテン、小沢栄一市議会議員がいる市役所を右手にチラ見しながら20号を左折して、今度は最初の信号を右折。70メートルほどで七里ヶ岩のトンネルに入る。すると私はいつもトンネルの天井を軽く見上げて呟いてしまう。「どうで? 元気け?」。上の七里ヶ岩の墓地に実父が眠る。

30秒ほどでトンネルを抜け、しばらく進む。途中、右手に韮崎東中あり。コクテール堂は前進だが、その交差点を右に折れれば韮崎高校のグランドが登場する。

今回、韮崎に戻ってからは、グランドに行っていないが、最近、グランドを見てきました、という人に偶然出会った。日曜日の朝8時半ごろにルナの散歩に出ると拡声器で宣伝しながら不用品回収の軽トラが近づいて来た。「日曜日の朝早くから、うるさくしてすいません」。その通りだが、わんわん、わんわん、とルナが激しく吠える中、グッドタイミングとばかりにまゆみが40代ぐらいの運転手に声をかけ返す。早速、ガタイのいい体育会系風の男性との交渉が成立して、壊れたテレビの有料回収とあいなった。

さー、ここから、大げさに言えば偶然の運命の糸がつながり始めた。私はまゆみからルナのリードを引き取って散歩を続行。まゆみとその便利屋さんは我が家に向かう。1分ほど経ってのこと。ルナが足を上げて放尿中に、「すいません、羽中田さーん」と埼玉の便利屋さんの声がした。息を切らせて走り寄ってくると、きょとんとする私に向かって一気に語る。だいたい、こんな内容だった。

「いま家の表札を見て驚きました。まさかとは思ったんですが、やっぱりサッカーの羽中田さんだったですね。ぼくの会社は埼玉なんですが、今日、これから甲府の善光寺っていうところで仕事があって、朝4時半に埼玉から秩父を抜けて来たんです。早く着いたんで、さっき、憧れだった韮崎のグランドを見てきました。ぼくは42年生まれなんで羽中田さんより3つ下です。バレーボールをやってたんですけど、地元の武南が決勝に出るっていうんでテレビで応援してたんですよ。だけど気が付いたら紫と白の武南じゃなくて緑のユニフォームの韮崎応援してて、けっきょく武南が優勝したけど、そんなのどっちでもいいくらい羽中田さんのプレーにしびれました。グランドを見ながら、羽中田さのことを思ってたから…。これは凄い偶然です、凄すぎる、信じられないです。グランド見てから、まだ少し時間があったので適当にこの辺りに来て、音だして回収してたんですよ。年末のこの時期は、けっこう需要があって仕事になるんです・・・」

おそらく一気に5分ほどは語っていた。それにしても彼が言うように、凄い偶然、私はいつも偶然に何か兆候のようなものを感じる。まゆみに話すと、「なんかいいじゃん!」と、微笑んでいた。

流れをもとに戻すと、コクテール堂は韮崎東中を通り越して、まだひたすら真っ直ぐ。塩川を渡り、穂坂の坂を登る。そこにはチャリンコを必死に漕ぐ、あの頃の孝の背中が見えてくる。そんな気がする。いまも穂坂に住む保坂孝は、あのころ韮高・攻撃陣のいかしたパートナーだった。

中央道の韮崎料金所を過ぎて、セブンイレブンを過ぎてもまだ少し登り、〝インター北〟の信号まできたら左折する。あとは穂坂の舗装された山道を縫って、3分ほどで「コーヒーにとって、日本でいちばんいごこちがいい場所」とコクテール堂が謳う場所に至る。

コーヒー豆たちは、ここで熟成・乾燥され、ゆっくり眠ってから私たちに染み込んでくれるのだ。

コクテール堂・韮崎工場の静かな駐車場で、試飲用のミニカップをすするコーヒータイムもまたいい。いっしょに韮崎生活も染みてくる。

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