• 羽中田昌

エッセイ 韮崎生活 ♯7


「韮崎の音」




韮崎のことを太鼓の町と呼ぶ、と教えてくれた人がいた。

「韮崎は市街地が川に挟まれているだろ」

「ああ、はい、釜無川と塩川に」

「その川の字をカバンや財布の皮という字に変えてみてごらんなさい」

「なるほど」

「そう、太鼓も皮に挟まれているから。だから太鼓の町なんですよ」

「へー、太鼓の町かー。素敵な呼び方ですね」

山梨県立美術館の野外ステージで開催されたコンサートのことを思い出した。もう四半世紀も前のことだ。初めての八丈太鼓。その迫力は夏の夜空に響き渡り、私は2本のバチが弾き出す音を全身で味わった。耳で聴くというより体感した。音の響が命の固有振動と共鳴しているようでもあった。


韮崎の音、まずは最近のお気に入りをいくつか挙げてみる。

近づいてくる豆腐屋さんのラッパの音。西中学校の朝練の掛け声、ファイト、オー、ファイト、オー。市役所からの放送。防災やイベントのお知らせから始まって、熊の出没に注意、振り込め詐欺に注意、老人が居なくなったお知らせまでスピーカーから流れてくる。朝7時からスピーカーが鳴ることもあるし、防災行政無線の動作確認を兼ねてということだが毎日、正午と夕方5時には時報のメロディが流れる。子供たちは遊びを終えて家路を急ぎ、お母さんが夕飯の心配を始める合図のよう。稲刈りがすんだ田んぼをすくトラクターの音もいい。サイドキックの音は聞こえないが、いまの私はこんな音に包まれている。


無い音を聞くこともある。

小春日和の午後、ルナの散歩から戻ると誘われるように甘利山の頂上を車で目指した。ジェット機が甘利山の向こう側から突如姿を現したのに刺激されたのかもしれない。我が家から約30分。くねくねと急勾配を登る。カーラジオからは歌謡曲の「紅とんぼ」が流れ、道の両脇には落ち葉が積もっていた。途中、4匹の猿のお出迎えもあって、びっくり!

標高1731.5メートルの頂上手前の駐車場に着くなり、車を降りて遠くの下界を眺めた。ぼんやりと太鼓の町が見える。七里ヶ岩の先端に立つ平和観音に見下ろされるように、市街地が左から右へのび、釜無川と塩川が人々の生活を挟む。まゆみと私は無言だった。

駐車場には、別に2台の車が止まっていたが人影はない。しばらくすると、まったく音のない世界にいることに気づいた。風もほとんど感じない。標高が高いせいなのか鳥のさえずりさえも聞こえなかった。ジェット機が近づくまでのほんの数分だったが、私たちは無音の中にいた。世の中が鮮明で、流れてるはずの雲が止まって見えるのが不思議だった。優しさに包まれているようでもあった。きっと私たちは無い音を聞いていたのだ。そして、思い出せなかったが、この感覚を以前どこかで味わったことがあると確信した。

そいえば観音は「音を観る」と書くが、背筋を伸ばして立っているのも耳が大きのはそのためなのかと考えたりもする。七里ヶ岩の上の観音さんは、いつも韮崎市民の生活の音を聞きながら見守ってくれいるのだ。


昨日、11月25日は全国地域サッカーチャンピオンズリーグの最終日だった。長く険しい道を登り、JFL昇格という場所に2チームが到達した。松江シティと鈴鹿アンリミテッドを心から讃えたい。同じ目標に挑んだ日本中の者たちに、その試合終了の笛の音はどのように聞こえたのだろうか。音はそれぞれの人生と共鳴する。だからなのか、昨日は私にとっても特別な日だった。

そんなことを考えていたら、ずっと気になっていた無音の世界の記憶がよみがえってきた。

中学2年の時。ナショナルトレセンのメンバーとしてプレーしていた私は絶好調だった。MFとしてチームを引っ張りゲームをコントロールした。自分でも驚くほど、なんでもできた。キックオフから一人でドリブルシュート。中盤を支配し決定的なラストパスを連発。周りが止まって見えた。なにも聞こえない静けさの中で、かろやかに、ただ夢中でプレーを楽しんでいた。


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