• 羽中田昌

エッセイ 韮崎生活  ♯4


「八ケ岳を見る窓」






まぶしい朝、久しぶりに青空が広がった。

こういう日は玄関入って右手の部屋、その北側の窓がいい。

現在はゲストルーム、数年前までは亡くなった義母の部屋、もう少ししたらまゆみの針灸と整体の治療室になる。

腰上の高さに設置された引き違い窓(1640×770)には黄色いカーテンが付いている。そのカーテンをシャーっとスライドさせ、ガラスを開けて換気する。

すると少々冷たくなった風がわずかに頬にふれ、私はお決まりの大きな深呼吸。目前には昨日まで雲に覆われていた八ヶ岳が、隠れん坊はもう終わりと姿を現してくれた。

澄んだ水色をバックに、なんだか山々も気持ちがよさそうだ。目を凝らすと薄っすらと雪化粧も見えた。八つに割れた中で一番高い赤岳の頭がぼんやりと白い。老眼が進んでいるようで気にもなるが、得意の「気にしない、気にしない、気にしない一、一休さん♪」。昔のアニソンを口ずさむ。


高校時代、冬になると八ヶ岳の頭にかぶさる雲がいつも気になった。

富士山は笠雲がいろいろなことを教えてくれるそうだ。例えば笠が頭にのっている「つみ笠雲」は快晴で冷たい風が吹く。「はなれ笠雲」は快晴続きだが冷え込む。頭の上で渦を巻いている「うず雲」、これは麓で風が強くなるかも。

まだ続く。顔を隠す「まえかけ雲」は、天気が下り坂でちょっとがっかり。噴火のように山頂から煙が噴き出ているような「ふきだし笠雲」は西高東低の気圧配置だ。最後にねじり鉢巻を思い浮かべる「かいまき笠雲」は要注意、風と雪が激しくなるかもしれない。

これも先人たちの知恵の一つなのか。

八ヶ岳の頭に雲がかぶさると韮崎に烈風が吹いた。冬の季節風のことを、ここでは八ヶ岳おろしと言う。土埃が舞いあがり、荒れ狂う練習グランド。過酷だった。苦しかった。でも、「この風が俺たちを強くするんだぞ!」。そう信じて突っ走ってきた。

それからもう一つ、この北向きの窓から見えるのが願い坂だ。願成寺の駐車場脇から境内へと続く坂道。以前は車椅子でこの急こう配を、よく登った。

今よりも若かったあの頃、願い坂をどんな思いで登ったのか。古くて拙いエッセイではあるが、この坂のことを綴ったものがある。その一部にちょっぴり人生のスパイスをふりかけて(手直して)、ここに載せる。


韮崎の地に建立された願成寺に「願い坂」という参道がある。駐車場のすぐ脇から境内に向かって延び、長さは50メートルほどで、傾斜角度は30度といったところだろうか。車椅子でのぼるには、かなりきつい。

帰省し墓参りの際、久しぶりに「願い坂」をのぼってみた。


願成寺は曹洞宗、鳳凰山。起源によると、宝亀2年(771)心休了愚法印によって開創。延長6年(928)地蔵菩薩を安置して願成寺と号した。重要文化財の指定を受け、武田信義(甲斐武田家の始祖)の墓地は本堂とほぼ並んで左手にある。


10年ぶりの「願い坂」は、私にずいぶん違う感触を味合わせてくれた。

あのころ、私は願成寺近くの妻の実家に住んでいた。坂の頂上を目指して車椅子を漕ぎ、必死で身体を鍛える日々。山梨県庁を辞め、ヴァンフォーレ甲府の塚田雄二監督の下で指導の勉強を始めた時期である。その後、サッカーの本場スペインでの修行を決意し、願い坂をのぼるのにノルマを課した。ストップウォッチでタイムを計り、決めた時間内にのぼり切ることに挑戦したのだ。

「坂の上には、俺の願いがあるんだ!」

まさに青春ドラマばりの熱い思いがあった。


これが10年以上前に綴ったエッセイ。

時は流れて、いま八ヶ岳と願い坂を見つめる。坂の上には何があったのだろう。思い描いたものとは違ったような気がするが、これでいい。だから人生は面白いのだと私は思った。

風に立ち向かうのもいいが、乗っかるか、利用するか、そのコツを掴むといい。坂は歯を食いしばって、必死にのぼり切るより、ゆっくり楽しくのぼるプロセスの方が大事。味わいながらのぼったり下ったりがいいのだ。


まゆみの「バランス針灸院」の開院も近い。いまは手作りの看板をじっくり製作中だ。北側の窓から見る八ヶ岳と願い坂は、今日もじっと動かない。思い切って、願い坂の上には何があると思う? とまゆみに聞いてみた。するとーー

「願成寺の境内とお墓でしょ」

そうきたか。恐れ入った。んー、人生は難しく考えちゃいけないな。



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